「お金の価値」と「命の価値」

三月の株キチ
三月の株キチ

新型コロナが流行してから、「お金の価値」と「命の価値」について考えることが多くなりました。
全体的に「お金も大事だ」という内容が多く、異論もあると思いますが、自分の考えをまとめました。

お金の価値について

お金の価値は、その人の資産状況で変わる。

お金の少ない人は、生きるためにお金を使うことが多いため、1円当たりのお金の価値が高くなります。
特に命に関わるほど、お金が少ない場合は、「お金の価値」が「命の価値」に近くなると思います。
お金持ちは、生きるために必要なこと以外にお金を使うことが多いため、1円当たりのお金の価値は低くなります。

「幸福度」は「お金」が増えると上昇するが、一定の金額以上になると幸福度は上昇しない。

普通に生活するだけなら、大金持ちになる必要は無い。

「資産1億円」が「資産2億円」に増加しても幸福度は大きく変わりません。
その価格帯の変動の場合、普段の生活にあまり影響が無いからです。
逆に、「資産1億円」が「0円」に減少するとダメージが大きいです。
同じ金額の変動でも、生きるために必要なお金が減少するためです。

お金を増やす目的が承認欲求を満たすためである場合、お金が増えるほど幸福度は無限に上昇するが、永遠に満足出来ない。

「億トレーダー」「億り人」の称号に憧れる人が多いと感じます。
「億」に拘る人は、楽に生活をしたいというよりも、金持ちになって人に認められたい気持ちが強いと思います。
仮に億り人になっても、上には上がいます。
そのため、お金がいくら増えても永遠に心が満たされないと思います。

命の価値について

現在の日本では、お金より命の価値が高い。

多くの日本人は、お金より命の価値が高いと考えていると思います。
個人の考え方もありますが、理由は日本人の多くが命の危険を感じるほどお金に困っていないからだと思います。

世界の人が考える命の価値。

「幼い子どもの命を救うために1億円が必要。」な状況で、子どもの命を救うために募金をする日本人は多いと思います。
日本は世界の平均に比べるととても裕福な国だからだと思います。
世界の平均的な水準の人からすると、1人の命を救うために1億円を使うことは異常なことかもしれません。

日本もお金が無い時代は、命の価値が低かった。

お金が無いから、赤ちゃんを間引き。

昔、貧しい農家では、赤ちゃんの間引きが行われていました。
赤ちゃんは成長するまでお金がかかるため、余裕が無い貧しい農家では、間引きするしかなかったのだと思います。
殺した人が非情なのではなく、お金が無いことが原因です。

貧しい国の兵が強いのは、命の価値が低いから。

戦国時代は、専業武士だけなく農民も戦に駆り出されました。
農民の命の価値は、現在の犬の命の価値より低かったかもしれません。
地域により兵の強さが異なり、全体的に豊かでない国の兵の方が強いです。
お金が無いほど、命の価値が低くなり、勇敢な兵になるからだと思います。

お金の価値を軽視した、日本のバラまき外交。

日本は多くのお金を世界の国々に拠出しています。
そのお金は、日本の企業戦士が働いて得たものです。
過労死や自殺で命を落とした人の多さを考えると、「お金の価値」は「命の価値」と同様に価値が高いと思います。
バラまき外交が悪いとは言いませんが、同時に世界に宣伝することが重要です。

新型コロナで考える「命の価値」。

新型コロナが大流行すると命の価値が低下する。

戦争時ほどではありませんが、コロナが流行している現在も非常時と言えます。
経済が弱まると、弱い物を救う余裕が無くなります。
そのため流行が広がると、命の価値は低下していくと思います。

命の選別について。

余裕がある時は全ての命を救うことを目標にしますが、余裕が無くなると価値の低い命から見捨てるということになると思います。
命の選別をする時に、どの命の価値が高いかを決めなければなりません。

命の価値は誰でも同じか。

基本的に若い人の命の価値が高いと思います。
理由はこれからの人生の残りの時間の長さです。

三月の株キチ
三月の株キチ

上級国民と言われる人の命の価値が、高く扱われているかもしれないですけどね。

特定の命を大事にしすぎる問題。

ECMOは、大勢の医療従事者が感染リスクを冒して、長い時間をかけて取り付ける必要があるそうです。
それだと、他の患者を診る時間が減るため、逆に多くの命を見捨てることに繋がるのではないかと心配になります。
医療従事者の人数を考えると、ECMOの数は増やさない方がいいと思います。

三月の株キチ
三月の株キチ

私や私の両親は重篤状態になる確率が高いので、あまり言いたくないですが。

自粛も大事だけどお金も大事。

新型コロナの流行を抑えるためには、自粛を続ける必要があります。
一方、お金が無いと生活が出来ず自殺に追い込まれる人も出るため、経済活動も大事だと思います。
判断が難しいですが、最前線で闘っている医療従事者の方が、自粛を求めているため、可能な人は自粛を続けるべきだと思います。

まとめ:お金の価値と命の価値を考える良い機会

今、経済と命のどちらを優先するかで論争が起こっています。
「お金の価値」と「命の価値」について考えるいい機会だと思いますが、深刻な争いにならないことを願います。
人類はこれまでも多くの危機を乗り越えてきたので、最後には新型コロナに打ち勝つ日がくると思います。

コメント

  1. Prof.新城 より:

    三月の株キチ様
    こんにちは Prof.新城と申します。
    初めてコメントをさせていただきます。

    記事「お金の価値と命の価値」を拝読させていただきました。
    「お金を増やす目的が承認欲求を満たすためである場合、お金が増えるほど幸福度は無限に上昇するが、永遠に満足出来ない。」については、う~ん(^^;)考えさせられました。

    正直に申しますと、私は投資をやりながら投資をやっている理由を考え続けています。
    自分なりの答えはあるのですが、今回の「お金を増やす目的が承認欲求を満たすためである場合」部分になるほどと感じました。
    となると、私の場合は承認欲求でも自己承認のパターンになります。

    さて、後半の「お金が増えるほど幸福度は無限に上昇するが、永遠に満足出来ない。」ですが、私は次のように考えました。
    お金が増えると満足し幸福になるが、次の幸福を求めてしまい、結果永久には満足出来ない」です。
    「永久には満足できない」ところが、とてもいいですね。
    満足できないは、ゴールがないということでしょうか。でも、ゴールしたら終わってしまうのも、ちょっとつまらないですね。私はどちらかといえば、ゴールがないほうがいいのですが・・・ムムム(^^;)

    しかし、現実には、ゴールがあると感じています。
    それは、承認欲求は永久ではないからです。
    死がゴールではなく、ほどほどのところで欲求はなくなるので、結果的には永久にはならない。適当に満足してしまうのでは?と考える次第です。

    承認欲求で久々に考えさせられたましたが、良い時間でした。(^^)
    今後も楽しみにしています。
    ではまた (^^)/~~

  2. 三月の株キチ 三月の株キチ より:

    Prof.新城さま、コメントありがとうございます。

    「お金を増やす目的が承認欲求を満たすためである場合、お金が増えるほど幸福度は無限に上昇するが、永遠に満足出来ない。」
    は、自分自身に言った言葉です。

    私は人生の半分を過ぎていると思います。
    承認欲求を満たすことを目的にして、永遠に満足出来なくていいのかなあ、と考えました。
    若い人なら、承認欲求が高くてもいいと思います。

    Prof.新城さまの投資の目的は、自己承認ですか。
    他人から承認されなくても満足できるのは素晴らしいと思います。
    それで、ゴールにたどり着けなくても幸せかもしれません。
    私も自己承認欲求を満たすために、残りの人生を頑張ろうと思います。